合気道 奥州道場  Aikido Oshu Dojo

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岩手日報 2005(平成17)年9月25日

「欧州での合気道普及活動から帰国し前沢町に道場を開いた」 菅原美喜子さん

 

 スイスを拠点に欧州で約十年間合気道の指導・普及に努め、帰国後に地元前沢町と一関市に道場を開設した。

 合気道と出会い二十数年。「大学時代も欧州でも、多くの人に助けられここまで来ることができた。それに自分は考え方がポジティブ(前向き)でじっとしていられない性格だから」とはきはきとした口調で振り返る。

 大学在学中には、「道場のけいこだけでは物足りなかった」というほど合気道に没頭した。通っていた都内の道場師範と友人の協力で合気道部を設立。道場仲間の呼びかけで部員を集め、初代主将として引っ張った。

 卒業後、十四年間の教師生活に終止符を打ち、「右も左も分からぬまま」単身スイスへ渡ったときも、現地の合気道仲間から仕事先の紹介や、道場開設など助力を受けた。

 語学学校での学習、仕事、けいこと気の休まらない日々。「もう帰りたい」と、くじけそうになったときには、仲間の励ましと持ち前の前向き思考で乗り越えてきたという。

 帰国後は、世界で見てきたこと、自分が受けてきた助力を「今度は自分が誰かに還元する番」。古里の畳に舞台を移し、地元への恩返しと合気道普及に打ち込む日々だ。

 海外へ旅立つときに大反対した両親に対しては「長く留守にしてきたので少しは恩返ししないと」と照れくさそうに笑う。

 

 

岩手日報 2005(平成17)年9月15日

「故郷に合気道道場開設」 前沢の菅原さん

 

スイスを拠点に欧州で約十年間合気道の指導、普及に努めた前沢町白山の菅原美喜子さん(47)は、故郷の同町と一関市に合気道道場を開設した。世界から故郷に舞台を移した菅原さんは「技術だけでなく、心の鍛錬を積む合気道は相手との調和・和合の武道で女性でも取り組みやすい。魅力を存分に伝えたい」と情熱を注いでいる。

 

菅原さんは財団法人合気会五段。1977年に東京女子体育大学在学中、合気会合気道本部道場の多田宏師範(76)に出会い入門した。

卒業後、都内の高校で生徒を教える傍ら道場に通っていたが、「自分を高めるためにも環境を変えたい」と決意。九五年、十四年間の教師生活にピリオドを打ち単身スイスに渡った。

 

ドイツ語学校に通い、観光ガイドの通訳などで生計を立てながら、現地の合気道仲間の協力を得て、サンモリッツに道場開設。今年初めに帰国するまで約十年間、イタリア、ドイツなど欧州各国で普及、指導活動に取り組んだ。欧州での活動も軌道に乗り、「日本で指導できてこそ一人前」という多田師範の言葉に従い今年三月に帰国。「世界で見てきたことや、合気道の魅力を伝えることで二十年以上離れていた地元への恩返しになれば」と、同町と一関市にこのほど「合気道多田塾奥州道場」を開設した。

 

菅原さんは「合気道は呼吸と体の動きを調和させ日常生活にも生かせる」とし、少年の部は礼儀や集中力の高め方などに重点を置き、一般の部では基本練習に加え、呼吸法や技のけいこなども行う。宮城県栗原市から前沢道場に通う会社員阿部慶太さん(32)は「集中力を高め、内面を鍛えることができる」と練習に打ち込む。

菅原さんは年一回程度は弟子に任せてきたスイスの道場を訪れるが、「地元での合気道普及に力を注ぎたい」と故郷での活動に意欲を示す。

 

前沢道場は、同町のいきいきスポーツランドで水、土曜日の週二日。水曜日は午後六時から同九時まで、土曜日は同五時から同九時までで時間帯によって少年、一般の部に分かれる。一関道場は呼吸法などの練習が主で、木曜日午後七時半から同九時まで。
 
問い合わせは菅原さん(080-5695-9129)へ。

 

 

胆江日々新聞 2005(平成17)年5月25日

「出会い、縁に助けられて」「合気道多田塾奥州道場」を開設した菅原美喜子さん

 

 袖振り合うも他生の縁―。

 今年3月にスイスから故郷・前沢に戻り、合気道教室を開設した。「出会ったたくさんの人のおかげで今がある」。歯切れよく話す言葉も、見せる笑顔もどこかしら力強い。

 

 高校卒業後、体育教師を目指し東京女子体育大学に入学。武道の道に興味を持ち、友人の紹介で「月窓寺道場」の門をたたいた。そこで合気会合気道本部道場の多田宏師範と出会った。

 「今までにない世界」。競技としての武道と異なる合気道に新鮮さを感じた。すっかりのめり込み、人の数倍の練習を重ねわずか1年足らずで段位を取得。大学3年の時には、学内で「合気道部」を立ち上げ、初代主将として活躍した。

 大学卒業後は体育教師として都内の私立高校に勤める傍ら、夜、道場へ稽古に通った。「本当は合気道1本で進みたかったが、食べていくのは難しかった」。月日が流れる中、胸に抱き続けてきた「真剣に合気道をしたい」との思いが、情熱となってわきあがってきた。

 

 思い立ったら即行動。多田師範の道場で知り合ったスイス人の友人に連絡を取ると、スイスに開設した道場で助手として働くよう勧められた。環境は整った。95年3月に体育教師を辞め、同5月わずかな貯金と情熱を携え、単身スイス・ベルンへ。

 現地では、語学学校の授業と宿題、道場の手伝いを繰り返す日々。それでも逃げ出すことなく続けられたのは「合気道がやりたい」との情熱とともに「このままじゃ戻れないという意地もあったのかもしれない。」

 

 収入源確保のため、門下生だった女子高校生の計らいで、サンモリッツのスキー場で働いた。当時現地に日本人は1人だけ。ドイツ語の話せる日本人として重宝された。冬季はスキー場、シーズンオフは観光局に勤めながら、ガイドもこなし資金をためた。

 98年8月、「サンモリッツ道場」を借り、初めての道場を開設。翌年には中古の畳30枚を購入し「合気道多田塾サンモリッツ道場」として本格的に始動した。「ここまで来た意味があった。」感動と充実感が全身に満ちた瞬間だった。

 

 道場の評判は口コミで広まり、今では35人以上の門下生を抱えるまでになった。

 「出会いの『偶然』『縁』というものに助けられここまで来た。人に恵まれたと思う。」大学1年のころ、初めて多田師範の道場を訪れた時に月窓寺の座禅会で住職が説いた冒頭の言葉の意味が、最近ようやく実感を伴って理解できるようになった。
 現地の道場は弟子にまかせ、帰国。これからは郷里に開設した道場で、合気道の魅力と、人とのつながりの大切さを伝えていく。

 

 

胆江日々新聞 2005(平成17)年4月28日

胆江サークルの輪 合気道多田塾奥州道場

 

 前沢町の合気道多田塾奥州道場(菅原美喜子代表)は、日常に還元できる合気道を目指している。「現代に生きる武道」と位置づけ、呼吸法は気の練磨、ストレッチなどを組み合わせた独自の稽古を実践する。個々の体力に合わせて取り組め、年齢性別問わず誰でも親しめる。

 合気道は、植芝盛平(1883~1969)が古流柔術の一派、大東流合気柔術を学んで創始した。関節を使った投げ技、抑え技に特色があり、攻めの技を一切持たない。試合がないので勝敗もなく、争いごととは無縁の武道だ。

 同道場は20日に始動したばかり。小学生以上を対象に、少年と一般の2部門に分かれ、週2回の稽古に励んでいる。「継続することで、心身の生命力が養われる」と菅原代表。自ら指導にあたり、合気道の心得をわかりやすく具体的に教えている。

 同道場の少年部では礼儀作法、集中力など内面の鍛錬に重点を置き、生活全般に作用する指導法を心がけている。一般の部は呼吸法やストレッチ、合気体操を取り入れ、年齢や体力に関係なく、それぞれのペースで続けられる。