「出会い、縁に助けられて」「合気道多田塾奥州道場」を開設した菅原美喜子さん

 

 袖振り合うも他生の縁―。

 今年3月にスイスから故郷・前沢に戻り、合気道教室を開設した。「出会ったたくさんの人のおかげで今がある」。歯切れよく話す言葉も、見せる笑顔もどこかしら力強い。

 

 高校卒業後、体育教師を目指し東京女子体育大学に入学。武道の道に興味を持ち、友人の紹介で「月窓寺道場」の門をたたいた。そこで合気会合気道本部道場の多田宏師範と出会った。

 「今までにない世界」。競技としての武道と異なる合気道に新鮮さを感じた。すっかりのめり込み、人の数倍の練習を重ねわずか1年足らずで段位を取得。大学3年の時には、学内で「合気道部」を立ち上げ、初代主将として活躍した。

 大学卒業後は体育教師として都内の私立高校に勤める傍ら、夜、道場へ稽古に通った。「本当は合気道1本で進みたかったが、食べていくのは難しかった」。月日が流れる中、胸に抱き続けてきた「真剣に合気道をしたい」との思いが、情熱となってわきあがってきた。

 

 思い立ったら即行動。多田師範の道場で知り合ったスイス人の友人に連絡を取ると、スイスに開設した道場で助手として働くよう勧められた。環境は整った。95年3月に体育教師を辞め、同5月わずかな貯金と情熱を携え、単身スイス・ベルンへ。

 現地では、語学学校の授業と宿題、道場の手伝いを繰り返す日々。それでも逃げ出すことなく続けられたのは「合気道がやりたい」との情熱とともに「このままじゃ戻れないという意地もあったのかもしれない。」

 

 収入源確保のため、門下生だった女子高校生の計らいで、サンモリッツのスキー場で働いた。当時現地に日本人は1人だけ。ドイツ語の話せる日本人として重宝された。冬季はスキー場、シーズンオフは観光局に勤めながら、ガイドもこなし資金をためた。

 98年8月、「サンモリッツ道場」を借り、初めての道場を開設。翌年には中古の畳30枚を購入し「合気道多田塾サンモリッツ道場」として本格的に始動した。「ここまで来た意味があった。」感動と充実感が全身に満ちた瞬間だった。

 

 道場の評判は口コミで広まり、今では35人以上の門下生を抱えるまでになった。

 「出会いの『偶然』『縁』というものに助けられここまで来た。人に恵まれたと思う。」大学1年のころ、初めて多田師範の道場を訪れた時に月窓寺の座禅会で住職が説いた冒頭の言葉の意味が、最近ようやく実感を伴って理解できるようになった。
 現地の道場は弟子にまかせ、帰国。これからは郷里に開設した道場で、合気道の魅力と、人とのつながりの大切さを伝えていく。