ここ岩手県奥州市には三偉人と呼ばれる人たちがおります。
 

ひとりは、江戸時代の蘭学者、高野長英(たかのちょうえい)
 

ひとりは、初代東京市長(現在の東京都知事)である、後藤新平(ごとうしんぺい)
 

またひとりは、第30代内閣総理大臣であり、2.26事件で命を落とした齋藤實(さいとうまこと)
 

 

和歌山県田辺市を訪れた方ならご存じの方も多いかと思いますが、
 

田辺市にも「田辺の三偉人」というものがあるといいます。

 

 

ひとりは、武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)
 

またひとりは、南方熊楠(みなかたくまくす)

 

そしてもうひとりが、

合気道創始者の植芝盛平(うえしばもりへい)開祖であります。

 

 

武蔵坊弁慶

 

言わずと知れた牛若丸(源義経)の家来。
京都の街で乱暴者として恐れられた武蔵坊弁慶が、千本の太刀を奪おうという悲願を立て、道行く人を襲っては太刀を奪い取り999本までになりました。
京都の五条大橋の上において、弁慶千本目の刀まであと一本というところで、五条大橋の上を笛を吹きながら歩く笛吹童子・・・ではなく牛若丸と遭遇します。
弁慶は腰に刺した太刀を奪い取るべく牛若丸に襲いかかります。
ところが牛若丸は、欄干から欄干へとヒラリヒラリと飛び交っては、弁慶の鋭い太刀筋を軽々とかわしてゆきます。そして最後には弁慶に一撃を加えて倒してしまいます。
とうとう降参した弁慶はその場で家来になったという逸話があります。
ちなみに、『義経記』によると牛若丸と弁慶が出会ったのは清水寺の境内で、決闘の場所も五条大橋ではなく、堀川小路から清水寺での出来事だったとのこと。
物語が伝えられていく上で、よりドラマティックにストーリーが書き換えられて現在の逸話になったのでしょう。
その後、都を追われることになった源義経(牛若丸)に従って弁慶は、奥州平泉(現在の岩手県西磐井郡平泉町)まで落ち延び、義経を守り、討伐軍の放つ矢を全身に受けながら立ったまま壮絶な最期を遂げたといいます。
この、立ったまま往生を遂げた弁慶の姿から「立ち往生(たちおうじょう)」という言葉が生まれました。

 

 

南方熊楠

 

世界的に有名な博物学者であり、生物学者(特に菌類額)であり、民俗学者としても知られます。
「歩く百科事典」とも呼ばれ、特に植物学を基礎とし、一つの分野に関連するすべての学問を網羅するものであったといいます。
その卓越した知識と独創的な思考で日本の民俗(その土地に受け継がれる風習や風俗)・伝説・宗教を広範な世界の事例と比較して論じました。
地衣類(シダや苔など)・菌類・民俗学・人類学などに関する英文論文が、科学雑誌『ネイチャー』に51本掲載されており、これは現在に至るまで単著としては歴代最高記録であるとも言われております。
南方熊楠は、明治政府の進める「神社合祀策」(神社の威厳を保たせるため、一定基準以上の設備・財産を備えさせ神社の継続的経営を確立させるため、神社の数を減らし残った神社に経費を集中させる)への反対運動を起こします。
合気道創始者植芝盛平は、明治42年(1909年)26歳のときそれに共鳴し、地元青年や住民を率いて熊楠に協力し熱心に活動したとも伝えられております。

 

 

合気道創始者 植芝盛平

 

田辺市のホームページに開祖のことを以下のように紹介されてます。
http://www.city.tanabe.lg.jp/sports/aikidou.html

 

(以下引用)
合気道の創始者・植芝盛平翁は和歌山県田辺市元町(旧・西牟婁郡西ノ谷村、現・田辺市上の山)に生まれ、幼い頃から武道に励み、19歳で修行の旅に出て各流の武術遍歴を重ねつつ独自の武術を習得しました。
1942(昭和17)年に合気道と名づけ、国内はもとより世界中にその名を広めました。
その功績を称え、1969(昭和44)年に田辺市名誉市民の称号を受けました。
「合気道」のその技は、相手に触れるやいなや一瞬のうちに相手を制することができるといわれています。
しかし、合気道は一般のスポーツや競技武道と違い、無理に相手を倒そうとするものではなく、また、強弱、勝負を争うものではありません。
翁がつねづね「合気とは敵と戦い敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である」といい、そもそも合気道は、相手と相和して切磋琢磨をはかり自己の人格完成を目指す武道だと述べています。すなわち、「合気道とは、各人に与えられた天命を完成させてあげる羅針盤であり、和合の道であり、愛の道」なのです。
この理想は、日本のみならず世界の武道として広く愛されるとともに大きく発展を続け、1988(昭和63)年には生まれ故郷「田辺市」で第5回国際合気道大会がはなばなしく開催されました。
その記念として扇ケ浜公園内に、翁の銅像が建てられています。
このほか、盛平翁を称え、田辺市では植芝家先祖代々の墓、盛平翁の生家跡、植芝盛平頌徳碑などを保存顕彰しています。

(引用終わり)